あかるいさかな
『あかるいさかな』
幼い日。出来事の、それ自体がいいとも悪いとも判別のつかぬ時分に。たとえば鉢植えの水のようにかけられた言葉によって、心が育ってしまうことは、世の習いとしてあるでしょう。
あれこれ不安ばかり先立てること。起こりもしないうちから口喧《くちやかま》しくされること。でも、時にはその、お、か、げ、さ、ま、で明るくひっくり返るなんてこともあるようです。
一人暮らしを始めた四月。干し終えた洗濯物の隙間。ひとりぶんの空間の残ったベランダに、ぺしゃんと座って、かしんと音控えめに開けた缶の、甘くてしゅわしゅわとしたお酒へ、こそっと唇をつけた瞬間、「ああ、それなら今が、残りの人生の中で、いちばん幸せな日で良いじゃんね」と思える人に、育ち終わりました。
朝、家族の誰にも不幸はない。災禍《さいか》の報せも、余命の宣告もない。いつか必ずやってくるものたちが、まだ扉をノックしてこない。加えて、洗い立ての洗濯物が気持ち良い。何しろ、その気持ち良さに潜んで口をつけたお酒に、配送日不明な不安だとか、宛て先曖昧な兎《と》や角《かく》を、添えなきゃならない理由なんてないでしょう。
そんなわけで、わたしは育ち終えました。ぐしゃぐしゃとした場所から始まったことで、春の青空と白い洗濯物の隙間にひとりぶんのベランダを確保して、おいしくなれる最高の日に。
すると春風のように「わたしも」とやってくる、似た人たちと巡り合うので、その傾向は螺旋を描き、上昇の機運も見せ始めます。初めて作る重箱弁当を持ち寄れば、桃源郷の宴のようだし、呑みながら「ああ、今日が最後だったとしても最高」ってつぶやいちゃって、皆で、しばらく、しずかに、やさしく座っていました。
不幸はいつか訪れます。だからこそ、この酒の肴たちは、皆がお花見のように儚《はかな》い明るさを探し集め、持ち寄ってきたものだったんです。
[あかるいさかな 了]
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