きれはし
『きれはし』
ついさっき、今朝まで見ていた夢のことを、急に忘れてしまいました。なくしたものの形も、うまく思い出すことができません。
そういってそれからのきみは、すっかり冷めたトーストの上に、溶け残るバターを置いたまま、窓の外で何かしら手がかりのように揺れている桜の枝を、じっと見つめていました。
でも、枝が気になるなら、ほんとうに手がかりなんでしょう。───ええ、またつながって、思い出せそうな気もするし、でも、ちぎれて残ってしまったほうの、きれはしを確認することのようにも思います。
そういってきみのそれからは、なにかにつけ、手がかりのように動くものへ目を止めて、じっと見つめるようになりました。
日曜日の、午後の、明るくて細い路地。誰かの風呂敷に包まれて、線路の向こう側を移動していく何かには、なんだか答えが入っているような気がしたそうです。───でも、あれはきっとどこか、ついて行ってはいけないところへ、行くのでしょうという気持ちがあって、ですから向こう側へは、渡ってゆくことは、やっぱりできないでしょう?
ぼくは返事の代わりに、珈琲を出してこう言ってみます。帰ってきてくれて、よかったよ。
つかまるもののない空へ、昇ってゆく風船が見えます。気流にもまれて、不規則に揺れながらそれは、不自由で、昇って行くしかなく、何にしろ、こちらに引き戻す術がありません。
昇りゆくその先で、つんとした音を立てる青色が、高く高く鳴っています。
月曜日の机には、半月のように弧を描く、珈琲カップの跡が残っていました。半月は机に一つきりで、あの日が確かにあったということを、うまく思い出せないまま見つめています。
[きれはし 了]
短文作品
夏ヶ瀬 文人(なつがせふみと)
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