飛魚文士
旧家の二階、西向きの部屋では、文士がひとり。バネ仕掛けのように跳ねる手を操り、海色インクのペンを走らせていた。
「ほら!今、この行の上です。全読者の視点は、今ここに居合わせているのですよ!」
文士の操るペン先は、立ち上がる機微の波頭を捉え、ぎらりぎらり飛び魚の如く光り、輝きながらぐんぐん、紙面を進んでいる。
「ほら!ここを読んでいる!」
インクの魚影が桝目を飛び跳ねると、尖ったヒレが紙面を引っ掻き、それが句点や撥《は》ね払いとなって、あとに鋭く残った。
文士は叩きつけるようにペンを置いて立ち、「さあ、ご覧なさい!同じ行の者よ!」そう叫ぶと、一気に障子戸を開け放った。窓の向こうでは、鰯《いわし》雲が斜陽に赤く焼かれていた。
とたん「あ!」と声がして、文士が夕空へ転落していった。そして電線に引っかかり、動かなくなる様子が、窓の中で切り取られた。
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